ASAは朝日新聞サービスアンカーの略で、アンカーには新聞を届ける最終ランナーとお客様との信頼関係を結ぶイカリ、ふたつの意味が込められているそうで…。
『ASA小松』の所長・松島勝美さんと朝日新聞の出合いは学生時代。大学進学で福井から出て来て奨学生制度に登録。寮生活を送りながら朝刊、夕刊を配っていたそうです。「学生運動まっただ中で、授業もろくすっぽなくて。
集金も率先してやってたね。実家は福井新聞だったので、朝日歴はそこからだけど、こんなに長くなるとは」と、感無量。というのも、振り返っていただくと、朝日新聞が人生を決めたと言っても過言でないのです。
大学卒業時、それまでお世話になった支店長が独立して西宮の上甲子園に店を出すというので、そのオーナーのもとで社員に。と同時に、結婚し、家庭をもったのですが、そのお相手がオーナーの親戚の娘さん!そして11年後、独立しては、と声がかかり、昭和59年に鳴尾支所のそばに『ASA鳴尾』、平成13年に『ASA小松』を構え、お客様と信頼関係を結び、しっかりイカリを降ろしたのでした。
しばらくは自分のお店で奨学生を預かっていたという松島さん。「昔、お世話になった感謝からですか?」と聞くと「いやぁ、人手不足でね」とおっしゃいますが、それは照れ隠し。こそっと「やっぱり同じ境遇の学生を応援したくて」と、付け加えました。ただ近隣には大学が少ないうえに、今やハードな奨学生制度を利用する学生も減っているのだそうです。時代ですね。
最近は活字離れが目立ち、購読者が減少の傾向だと聞きますが、このエリアでは、さほど変化はないそうで…「私自身、起きてまず新聞に目を通し、1日が始まります。情報だけならテレビでいいけど新聞は解説がもらえるのがいい。毎朝、一面記事はなんだろうと、気になりますよ」と根っから新聞派の松島さん。
今まで配達したなか、一番嬉しかった一面記事は?と尋ねると「やっぱり吉田義男監督の時の、優勝」とにっこり。さすが甲子園のお膝元!そして一番心に残っているのは阪神淡路大震災当日の夕刊。「一面に載ったのが、うちの配達エリアで全壊した住宅の写真だったんです。そんなこともあり、必死で配りました」と当時を思い出し、しばし沈黙に…。
取材の最中、大きなトラックが店前に到着。スタッフ全員が駆け寄り、積み荷をどんどん降ろしていきます。朝刊も夕刊もそれぞれ夜中と昼の3時頃に到着し、そこからチラシを挟み込み、配達が始まるという段取りだそう。
「鳴尾浜に県下に配る3分2の朝日新聞を刷る阪神工場ってのがあるんですが、ここは工場から近いから、最後に新聞が届くんですよ」と、苦笑い。正真正銘のアンカーなのです。だから大急ぎで準備しないとお客様に叱られることもあるそうですが、それだけ楽しみにしてくれていると思えば気合が入ると言います。
ちなみに、折り込みチラシを揃えるのも、1枚ずつ組んでいくのも、昔は手作業でしたが、今は専用機械があってずいぶん楽になりました。
「でもどんなに機械化が進んでも、配達するのは、人。そこを大事にしたいんだよね〜。海外では、駅売りが主流でしょ。新聞配達って、日本の文化のひとつだと思うんだよ」と松島さん。
実は、現在、所長職を長男へ引き継いでいる真っ最中だとか。でも息子さんは決してアンカーではないはず。
きっと、今度は子から孫へと引き継がれて…と想像しただけで微笑ましくなりました。