取材アポの電話をかけた時期は、夏真っ盛り。しかも丑の日の前日というのに「焼きながらの取材でよければ」と店主の竹本成満さんのお言葉に甘え、「成鰻」の暖簾をくぐりました。
とたんにカウンター越しに飛び込んでくるのが、遠赤外線のロースター。その前で竹本さんは、串刺しの鰻を持ち上げ、焼き色をチェックし、タレつけて、回して焼いて…を繰り返していました。厳しい目つきで全身を使って焼き作業をする様子は、まさに職人。最初は声を掛けづらかったのですが、二言、三言話せば少しシャイなだけで、穏やかな人柄だと判明。強面を醸し出す首元のネックレスも、肩こり予防の磁気ネックレスで「コラントッテという面白い名前のものですわ」と照れ臭そうに話されて、こちらの緊張はいっきにとれました。
開業したのはお父さんで、最初は熱帯魚の店をやり、次に徳島で鰻の養殖。そして最後にたどり着いたのが鰻屋だったそう。幼い頃から朝から晩まで鰻をさばいて、焼いて、を繰り返す父親の姿を見ながら、絶対に継がないと思っていた竹本さんは建設業界に就職しました。ところが現場監督を務めるまでになった30代半ばで、会社が倒産。両親の営むこのお店で、一から鰻を学んだのでした。
その周り道のおかげで、今の竹本さんスタイルの「成鰻」になったのだと感じました。例えばお店を改装しする際に、前職の知識をいかして工夫やこだわりを取り入れた厨房は、タレや煙で黒くなっていて当たり前という鰻屋の厨房のイメージを払拭した「魅せる、美しい厨房」になっています。また、子供の頃から食べ馴染んできた鰻だからこそ、さらに美味しさを追求。頭と骨を入れて作った煮詰めダレは、少しずつ足して先代の味を守っていますが、美味しい鰻があると聞けば遠くまで食べに出かけ、勉強。お米は固めでしっかりした米を求めて、いろいろ試して、奈良のヒノヒカリに決定。昔は自身が旨いと思えなかった皮は、香ばしく焼くことで納得の味に仕上げています。
「鰻は同じように焼いていても、一匹ごと、日ごと、焼き時間やタレの染み具合も違う。今は、その奥深さに魅せられています」と竹本さん。お父さんが息子さんの名前から一文字とった店名「成鰻」。まさに二代目が継いでこそ完成した気がします。
実は、串に刺さった鰻を上げ下げするのはかなりの重労働で、肘を痛めて治療のために休業していた時期も…今は、昼間の営業とお弁当や蒲焼の持ち帰り(要予約)のみ。そこで、鰻好きの家族のために、後日、丑の日の忙しさが落ち着かれた頃、蒲焼を予約購入。スーパーのものよりもふくよかでいて、お値段は同じほど。パックから取り出したとたん広がった香りにつられて、リビングから息子が覗きにきました。教わった通り、お酒を少し振り、ホイルにのせて、温め過ぎぬよう少しだけトースターで加熱。皮目はパリッと香ばしく、身は食感ホワッ、中はジューシーで最高でした。